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刷毛

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潤のブログから。当時のカルフォルニアには何人かの女性のワーカーがサーフボードの製作にかかわっていた。ベトナム戦争で若い男性がいなくなった為?中でも有名なのが、ジョイ 浜崎。私も彼女を見習ってグラッシング、フィニッシュング担当したものの、日本にはマスキングテープ、樹脂用の刷毛が無く東京中の刷毛屋さん当たっても良いもの手に入らず、やむなく二人の娘を実家に預け又、渡米。ロスのインダストリー地区でティント、ピグメント、等の樹脂、刷毛、テープ等など買いあさった。そのとき盗み見たのがシルクスクリーン印刷技術。無地のハイクルーT-シャツの日本での独占販売権を手にし勇んで帰国。海賊版?の
T-シャツをアメ横などに販売。お金は火の車だったけど楽しい時代だった。とにかくコピーコピーの時代、今の中国みたいな現場だったから。
後にも先にもこんな現場にいた女は私だけと豪語するわけ。
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Leroy Grannis

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NARU 58号でグラニスさんの近況を知り吃驚した。親類、他人にだまされ今老人ホームにいると言う記事。毎年のクリスマスカードが届くし、つい最近もドイツのパブリッシャーが写真集を出版すると言う嬉しい便りも頂いた。近頃雑誌でも彼の写真を多く見かけるので豊かな晩年を奥さんのKATEと過ごしているとばかり思っていた。彼の歴史的価値のある写真の数々はどうなっているんだろう。私たちが彼に始めてあったのは1960年末頃だと思う。未だ電電公社?の仕事をしながらサーフィンフォトグラファーとして活躍していて、ハモサビーチあたりのたくさんのサーファーと仲良くなれたのも彼のお陰だ。写真を数点譲ってもらい日本でポスターとして売り出したりした。寒い時期になると彼が借りていたノースショアーのログハウスに娘二人連れ居候したのも懐かしい思い出だ。上の写真がそのときの物。マイク パーパスが一世風靡していた頃。朝早く散歩でビーチに出、日本で高く売れるプーカシェルを拾って歩きネックレスを作ったりした。ログハウスの天井にゲッコーが何匹もへばりついていて怖い思いも懐かしい。グラニスさんはワイメアに波があがるとロングボードの先に木で作ったハウジングを載せ果敢に沖にパドリングして出て行く姿がいまだに目に焼きついている。仲のいいご夫婦で数年前サンディエゴの紅花で待ち合わせお会いしたときも二人で見え
懐かしい思い出話に花を咲かせた。お会いしたときから白髪でお年を聞きそびれたままの年月だったけど私たちの憧れのご夫婦だった。第二次世界大戦前からのかっこいいカルフォルニアのサーフィン文化が伝わる貴重な写真の数々、お宝として保管されていくこと望むばかりだ。
それと、サンディエゴでお会いしたとき、日本の雑誌社、スポーツ店何社から彼の写真を使用した代金が支払われないとこぼしていらした。こうした知的財産に対する日本人の考え方にも問題ありと考えさせられた。今、彼の写真集はAMAZONで数万円の高値がついていると言うのに、
年寄りをだます手口は世界中同じなのかも。

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